日本女子大学・家政学部通信教育課程・食物学科
教職課程リポート

科目「家庭科教育法I」

課題「テキストに基づき『家庭科構想の視点』をまとめなさい」

評価「(合格)・・・いろいろボロカス書かれていた」

参考文献「家庭科教育法Iの教科書の該当箇所を2000字以内に収まるように丸写ししただけ」

「社会的・文化的性差(ジェンダー)に基づく役割分業の撤廃をめぜす教科とする」
 家庭科以外の教科(英数国理社など)に関しては、男女共学・男女共通内容による授業が当然のこととして行われており、各生徒レベルでの得手不得手はあるとしても、特に男子向け・女子向けという科目は存在しないといえる。しかしながら家庭科に関しては、過去の伝統的な男女別の価値観や特性論が存在し「男だからできなくてもよい」「男がそんなことをしたらみっともない」あるいは「女ならこれくらいはできないと」という考えが持たれがちである。であるから家庭科は、そのような「社会的・文化的性差(ジェンダー)に基づく役割分業」というもの問題点を、教育を通じて正しく認識させることが可能な唯一の教科であるといえる。
 そこではジェンダーの根本にある「男性は労働、女性は家事」という固定化された役割分業観が、両性にとって不幸であるということを理解させなければならない。すなわちジェンダーの問題は、単に「女性が隷属的な地位からの解放を求めていること」ではなく、男性をもある種の隷属的な地位から解放することでもあり、それは両性にとって有益であるということである。役割分業とは、いわば「相互依存」という関係であるともいえるわけであるから、一方に何らかの支障が生じた場合、他方にはその失われた役割を補填するすべがなくなることを意味するのであり、それが両性にとって不利益であることは明らかだということである。また、役割分業が個人の希望や嗜好や適正を無視して押しつけられる場合には、「人間が望む自己実現」という根本的な願望を抑圧することにもなるのである。
 無論、以上のようなことは両性の協力関係を否定するものではない。また、生物学的な差が存在するのは事実であるのだから、両性の相違点はしっかりと認識しなくてはならない。

「一人ひとりが生活者として自立し、新しい生活文化を継承し、生活の主体者となるための生活力を育てる教科とする」
 生徒が生涯を通じて真の自立をめざすには、日々の生活を維持するための知識や技術を身につける必要がある。それには衣食住の要素が欠かせないのはもちろんであるが、生活の拠点となる家庭を維持・発展させるための、家族関係にまつわる知識や技術も必要となる。
生徒は通常、両親や祖父母などの家族に保護されて日々の生活をおくっている。生命を維持する衣食住や金銭的な問題は、すべてそれらに依存しているといっても過言ではない。しかしながら、生涯その関係が存続することはなく、いずれは独立して一人暮らしをしたり、あるいは新たな家庭を持つのようになることが期待されている。そのような場合に対応できるような準備として、衣食住にまつわる、あるいは生活設計の知識・技術の習得が必要となるのである。
 また家族への依存の他に、日々の生活を取り巻く環境への依存からの自立という面も考えなければならない。生活に欠かせない物資やサービスなどに対して、その提供を当然として無批判に甘受する姿勢も、決して自立した生活とは呼べないのである。
 生活文化とは、現在我々がなにげなく行っている生活上の慣習であり、両親や祖父母の世代やそれ以前から続いているものもある。そこにはその生活文化が存在する何らかの理由があるわけであり、その意味を理解しなければならない。これは無条件に過去の生活文化を継承するという意味ではない。そうであるならは、男女の役割分業なども「過去の文化である」という意味で尊重しなければならなくなる。生活文化の意味を理解した上で、それを改善していく態度が必要になるのである。
現代では各種技術やサービスの向上により、衣食住に関する問題も、教育に関する問題も、家庭に依存することなく処理することが可能となっている。したがって「家は家族が寝るだけの場所」ということも、教育は学校に一任ということも可能である。しかしながら、それが正しい生活文化と呼べるかというと、はなはだ疑問であることは明らかであり、そのような面からも生活文化を考える必要がある。

「互いの主体性を認め合いながらも、生活の充実をはかり、共に生きかつ対等な関係づくりがわかるような教科とする」
 学校とは、多数の同年齢層の生徒と少数の教員により構成された、いわば「いびつで特異な集団」である。場合によってはそれが、小学校・中学校・高等学校という12年間続いてきてるわけであり、そこでの価値観や考え方はどうしても偏りがちになる。しかしながらこの社会は、幼児や青年、壮年、老人など多様な人々で構成されており、その価値観や考え方や能力においても生徒たちとは異なった面がある。そして、将来においては身内や他人を問わず、それらの人々と否応なく関わりをもっていかなければならないのである。友達づきあいは好き嫌いで選択しても一向にかまわない。しかし、好き嫌いを通せない人間関係を拒否して生活していくことはできない。また、人間に性別や幼老や生老病死がある以上、だれかがだれかに関わって世話をする関係はなくならないのであり、それは一方的なものではなく、時間的な隔たりをもって自分自身にもあてはまるものでもある。それらの人々と対等で友好的な関係を結ぶことを考えることは、各人の将来を考えるうえで重要な意味をもつのである。