日本女子大学・家政学部通信教育課程・食物学科
教職課程リポート

科目「家庭看護学」

課題「家庭内で行う思春期の子どもに対する性教育についてまとめなさい」

評価「(合格) コメント→大変良くまとめられています。性の概念はもう少し広いので多くの文献を読み、種々の考えに触れて下さい」

参考文献「家庭看護学の教科書、高校家庭科の教科書(東京書籍と実教出版の2種)」

 性教育は学校でも授業の一環として行われている。ならば家庭でわざわざ行う必要はないのではないかという考え方も存在しうる。しかしながら学校での教育は「教師という『他人』による教育である」「原則的に男性あるいは女性どちらかによる授業が行われる」「授業の一部であるので知識的・一般的・一過的なものになりやすい」という特長がある。ただしこれらが必ずしも悪いという意味ではない。子どもからすれば「学校の授業」として行われる方が、種々の疑問など質問・相談する際、内容によっては尋ねやすい場合も考えられる。またそれらが学究的な内容であれば、家庭内よりも正確な答えが期待できるかもしれない。しかしながら思春期の子どもの成長は個人差が大きいにもかかわらず、それらに対してある一時期に限って教育が施されるという欠点もある。また男女どちらかの教師からだけの授業は、やはり偏ったものになりがちであるといえる。

 また「性に関する知識は放っておけば勝手に覚える」という考え方も根強いものがある。しかしながら「勝手に覚えた知識」は、その出所が無責任なものであったり、風聞・ウワサのたぐいであったり、局所的・近視眼的な内容であったりする場合がある。したがって子どもの持っている性知識の確認や吟味が必要であるという意味からも、学校や家庭での性教育は欠かせないものとなる。

 一方、家庭内での性教育は「自分を産み育てた肉親による教育である」「父親と母親(両性)がおおむね存在している」「子どもの成長を観察しながら継続的な教育が可能である」という特長がある。両親は妊娠・出産を経験している身近な存在であること、肉親であることによる気安さ、両性の存在、子どもの成長に応じて適時に継続的な教育が可能であるという点は大きな意義があるといえる。したがって家庭内での性教育は、学校には望めないそのような特長を生かしたものでなければならない。

 ただし家庭での性教育にも問題がないわけではない。家庭内で性教育を行うことは、子どもが親を「親」としてでなく「男女」として見るきっかけを作ることでもある。子どもからすれば「両親」は文字どおり「親」という存在であり、事実としては両親の性行為の結果として自分が産まれたということは理解していても、そこに「男女としての両親の関係」を認めたがらない傾向が見受けられる。また両親にしても「親」という地位に基づく権威の喪失に繋がると懸念することが考えられる。このような親子の微妙な心理から、家庭内での性教育にはある種の「照れくささ」がつきまとうこととなり、なかなか有益な効果が期待できない面もある。

 なお家庭内での性教育を行うにあたり、思春期に親がいきなりあらたまった形で教育を始めるようであっては、子どもが戸惑ってしまうことも考えられる。したがって親としては、それ以前からも機会をとらえて、性教育に限らず何らかの形で教育を行う機会を設けるよう心がけるべきであり、子どもに対して「教育は学校だけではなく家庭内でも行われる」という認識をあらかじめ持たせておくことが必要である。

 思春期の子どもは急激な成長にともなう性的な面での身体の変化に対して「とまどい」「不安」「怖れ」「嫌悪感」「羞恥心」などを抱きやすい。それらに対する両親の態度は「隠蔽」であってはならないし、また「あからさまな開放」であってもならない。前者のような態度であれば「嫌悪」や「羞恥」のみが強調されるし、後者であれば人間としての理性に欠けることとなる。性とは自然な生理的・本能的現象であって、それを理性によって制御するという態度を理解させなければならない。まともな人間であれば、空腹であってもやみくもにそれを訴えず、食事時まで辛抱するであろう。空腹は本能であり、辛抱は理性であるが、性に関してもそのような態度が望まれる。

 現代では性に関して子どもが入手しやすい知識が快楽的な面に偏っている。また性を金銭獲得のための手段としてとらえる風潮や事実もある。性とはそのこと自体が「目的」なのではなく、男女が家庭を築き子供をもうける「手段」であるということを教育するべきである。したがって性行為による結果として妊娠し、出産・育児などを経て家庭を築いてきた両親が、その経験に基づき「親になるということ」を充分に理解させなければならない。

 以上のような観点から、子どもに対する性教育で留意すべきであろうと思われる点について述べる。

「男女の生理の違い」
 男児の精通や女児の初潮は避けて通れない現象である。こういった現象は突然やってくるものであるから、事前の指導により心構えを持たせる必要である。特に初潮に関しては出血を伴うから子どもが戸惑いやすく、母親による各種処置の教授や指導が必要である。またきょうだいが男女である場合には、男児からの「ひやかし」や「からかい」が考えられるので、それに対しても適切な指導も求められる。男児の精通については、それが快感を伴うこともあり、どうしても自慰に結びついてしまう。自慰や生理は思春期の子どもにとって「自己嫌悪」や「過剰な羞恥心」に結びつきやすいと思われるし「知られたくない」という心理もはたらくので、接し方には非常な注意が必要である。

「女性の妊娠・出産に関する負担」
 妊娠は女性のみに与えられた現象であり、長期間かつ大きな負担である。子どもがいかに母親の大きな負担の元に産まれたかを理解させなければならない。また父親や近親者の援助や協力なしには、妊娠・出産は順調に行えないことも理解させる。それを踏まえた上で、男性側の責任の大きさを充分理解させることも必要である。

「出産後の育児の負担」
 子どもの出産以降、どのような手間がかかるのかを教えなければならない。特に乳幼児時代の排便の始末、授乳、夜泣きなど、子どもがおとなの都合では動かないことを理解させ、育児に対する親の肉体的・精神的負担の大きさを教える。

「経済生活の変化」
 子どもが産まれ、また成長していくことによって、家庭の経済がどのように変化していくかを教えなければならない。子どもからすれば「おまえには金がかかっている」というように捉えられかねないので、ともすれば「皮肉」や「恩着せがましく」受取られるかもしれない。しかしながら子どもがいなければ両親だけで自由に処分できていた収入が、子どもに対してかなりの部分が割かれるという事実は認識させなければならない。

「家族計画」
「なぜ我が家では子どもが○人(人数は各家庭で異なる)なのか」という理由を教える。通常の家庭では家族計画を持ち、やみくもに産み続けることはない。社会状況、収入状況、住宅事情、親の年齢や体力、親が欲する子供の性別や年齢差、親の育児能力など種々の条件を勘案した上で、何らかの計画を立てて産んでいる。それらの事情を明らかにしたうえで、無計画な妊娠や出産は将来の破綻をきたすということを教えなければならない。