日本女子大学・家政学部通信教育課程・食物学科
教職課程リポート

科目「児童学概論」

課題「身近に起こっている問題で、『子どもの権利条約』に抵触していると思われる事例をあげ、それに対する解決法なども含めて意見を述べること」

評価「(合格) コメント→いろいろ書いてあったが『良いレポートとなりました』だそうです」

参考文献「児童学概論の教科書」

事例「高校生の二輪免許取得規制」

 筆者の高校時代も含め、現在でも多くの高等学校において、生徒の二輪免許取得には「全面禁止」や「条件付取得」などの規制が行われている。それに反した場合「謹慎や停学・退学」といった、生徒にとって不利益な処分が下される。また「免許を取らない」「二輪を買わない」「乗せてもらわない」などの運動も学校や地域レベルで見うけられる。さらに高校生が運転免許を交付される際には、各地の公安委員会で「親の承諾書」を求められることがある。
 道路交通法によれば二輪免許は「満16歳以上の者」に取得が認められているものであり、身体的な運転条件の不備や過去の不法行為の経歴を除けば、免許試験合格によりだれにでも交付され、それ以外の条件は課せられていない。このように法律上認められている権利の行使に対して、学校や地域や公安委員会が上記のような制度的・心理的な規制を加えることは、「子どもの権利条約」の第16条「私生活に対する不法な干渉からの保護」に反するものであると考えられる。
 直接的に規制を設けている学校に関して述べるならば、学校が生徒に対して規則を定め、それを遵守させることにより学内秩序や学習環境の確保や維持をはかるのは当然であるし否定もしない。しかしながらその規制範囲は学内に限るのが原則であろう思われる。
 生徒の二輪免許の取得理由には「趣味・嗜好」「交通手段としての利便面からの必要性」「仕事での必要性」などがあげられるが、それらはまったく私生活上の問題であり、明らかに学内からは離れている。
 まず「趣味・嗜好」という点から見た場合、免許取得は「野球が好き」「映画が好き」「読書が好き」といったものと同様な私生活上の問題であり、その取得に対して干渉される性質のものではない。
 また「交通手段としての利便面からの必要性」という点から見た場合、免許取得が規制されることにより、生徒は交通手段の選択について制限を受けるという不利益を被ることとなる。
 小学校や中学校などの義務教育段階では、学校が近隣にあることが普通であり、生徒の生活や交遊の範囲も比較的せまい地域に限られていると考えられ、徒歩や自転車などの利用でも充分対応が可能であろう。しかしながら高等学校ではかなり広い地域から生徒が通うのが普通であり、その生活や交遊の範囲も拡大されると考えられる。また地勢的に見ても日本は山がちの地域が多く、徒歩や自転車での移動は何かと支障が多いことが珍しくない。さらに既存の交通機関の便が乏しい地域も目立つ。
 そのような観点から、二輪の利便性が望まれるのは極めて自然なことであると思われ、それを制限することは、子どもの利益にかなった対応であるとは思えない。
 さらに「仕事での必要性」という点から見れば、免許取得を規制することは直接的に生徒の生活をおびやかすものであり、なおのこと許されるものではない。
 ただしこれは無条件の免許取得を求めるものではない。例えば学校に二輪で通学する生徒が大挙して現れた場合、騒音や排気、駐車場所の確保など種々の問題の発生が予想され、よりよい学習環境の確保や維持、近隣地域への影響などからは決して良いことであるとは思えない。その面から二輪での通学禁止に限れば、既存の交通機関の不備などよほどの事情でもないかぎり納得できる点もある。
 しかしながら二輪通学を禁じることと、免許取得を禁じることは別問題であろう。各家庭で各人の経済的責任により、趣味や嗜好、各種事情による免許取得や二輪の所有・運転まで禁じるのは、あきらかに生徒の私生活にまで立ち入った対応である。
 また非行の防止、交通事故が発生した際の負傷や死亡の抑止、加害時の補償問題、それらに対する学校の責任追及などの面から免許取得を禁止する考えもある。「子どもの身体・生命を守る」「賠償能力に欠ける若年者を乗せるわけにはいかない」「1人の事故により他の生徒が迷惑する」などの規制する側の思惑が働いているように思われる。たしかに二輪免許取得を禁じることによってある程度それらの原因を絶つことは可能であろう。
 しかしながら「非行の手段を絶てば非行はなくなる」という安直な発想には賛同しかねる。また突発的な事故や、その補償責任は車両を運転する者には避けて通れないものであり、これは生徒に限ったものではない。ただ単に在学中さえ問題なければそれでよいとする発想ではないかと思われる。すなわち「禁止している」という事実を作ることによる責任回避の意味あいが強いように思われる。
 また上記の指導がすべて「禁止や規制」というかたちになっている点に問題を感じるのであり、「交通教育や運転教育」というかたちでの指導に改めるべきだと思われる。
 そもそも学校が二輪免許取得に規制を設けるのは、「学校が生徒に対してすべての責任を負う」という認識が社会にあり、生徒に問題が起これば社会が学校を責められるからだと思われる。さらに学校関係者が「責任を負わせられるもの」として容認しているからであり、その結果「問題になりそうな事柄」を規制するという方向に進んでしまうのである。したがって「学校生活での指導」と「生徒の私生活」を明確に分けるという考え方が、社会や学校に広く認知されないかぎり、このような免許取得に関する干渉は防げないように思う。